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1 日本の医療系市民団体
2 医療過誤問題を問い直す。
3 脳死臓器移植問題を考える
4 今までの医療裁判と患者の権利運動の総括
5医療被害救済の構造改革
6被害者自身のために 
7医療過誤問題の歴史的展望  
8 医療過誤----治療のための研究が急務----
9精神科医療過誤問題の困難 
10触法精神障害者問題
11医療過誤事件解決の技術


Our Hayama Familiy Medical Tradition Deny all Lowyer, Doctor and Suffereres Have Relation with Malpractice,Now!!

全ての弁護士、協力医師、被害者に突きつける私の答えはNO!!だ。

と書いていたけど誤解されたので撤回するというか、撤回しないけど字を小さくしました。



 1   日本の医療系団体
 
  私は長い間医療過誤で苦労を強いられたので、そのプロセスでこうした団 体について情報通になった。
 いくつか自分が会員であったりよく知ってるものを紹介いたします。
 

 1. 医療事故情報センター
  母がスモンでくるしんだ弁護士加藤良夫は、長年医療過誤に患者側にたっ てとりくめる弁護士の全国レベルの団体を作る事が悲願であった。これはその加 藤が呼びかけて作りだした患者側にたって戦う医療過誤専門弁護士の組織であり 、正会員弁護士四百人をかかえる日本の医療過誤訴訟の総本山である。センター ニュース、症例報告集をだしカルテ翻訳、情報検索、鑑定医紹介、訴訟指南など を日常業務としてこなしている。

 2  患者の権利法を作る会
  福岡の著名な医療過誤専門弁護士、池永 満らが諸外国に比べ著しく立ち 遅れた日本の患者の権利を向上させ法制化させるためにつくりだした。会報、権 利法ニュース、他に出版物をだしている。シンポジウム、世話人会、を年数回開 催する。医師の会員も多い。

 3  医療過誤訴訟原告の会
  医療被害にあった者は日本社会に身の置き所もない。そうした人達が連帯 し、情報交換やお互いの裁判の傍聴、シンポジウムなどを行い社会に働きかける 団体である。関西と名古屋で三月に一回程度例会があり、会報と地域の会報もだ している。実際には会員は私のように訴訟してない人のほうが多い。

 4  医療情報の公開開示を求める市民の会
   日本の医療情報の患者本人への提供はいまだに不十分であるため、高校 教諭、勝村久司らが作り出し、レセプト開示を勝ち取った。カルテ開示法制化を 目指し闘っている。

 5  全人的医療を考える会  
   中川米造、日野原重明らは日本の医学教育にコミュニケーショントレー ニングがない事が、日本の医者、患者関係を貧しいものにし、さらにあらゆる医 療被害をつくると指摘し、例えば癌告知や死の臨床にしても、従来奥義を極めた 臨床の名人しか出来ないと言われた特殊なその秘伝技術の体得を、誰でも出来る 体験学習「ワーショップ」として学生同志に伝承させる特異な医療系学生団体を つくりだした。ここでは全人的医療という最終到達目的がおかれ、ノンイデオロ ギー主義が貫かれまた東洋医学が重視されている。ワークショップは参加者五十 人から百人ていどでdomesticな雰囲気で進行し、低学年者にも親切な指導があり 溶け込みやすい。New Web Site
前代表世話人難波幸子さん
古参会員林 励治さん  

6 全国医学生ゼミナール 
   全国の大学医学部の自治会の連合会が主催する医療系学生の祭典である 。医学連加盟校のどこかを会場にして毎年八月上旬に開催される。当日は三泊四 日であり、文化人講演、各種分科会、平和企画、合唱団、宴会などである。参加 者は八百人程である。直前二週間は全準とよばれる準備期間で準備をしがてら、 毎日、講師を呼んで学習会、宴会もある。春にプレ医ゼミ、秋にポスト医ゼミと 呼ばれる、一泊二日の地域ごとのミニキャンプがある。学生は個性派が多く真剣 な議論の場である。各地に医ゼミへいく会という分科会をだす人たちの準備会が ある。   
 医ゼミ情報は 奥野 誠さんのページ土谷 良樹さんのページ とそのリンク集から見てください。

 7 医療人権センターCOML
  創設時より医療過誤情報センター事務局長であった辻本好子は、しばらく してこれを弁護士中心主義であると痛罵し、加藤良夫らと決裂、市民の立場から 医療を変えていく事を目的とする団体をつくった。賢い患者になりましょう、を 合言葉に患者塾などしている。


 2 医療過誤問題を問い直す。

私が医療事故情報センターや原告の会に対して持っている一番大きな不満は、 それが裁判に勝訴するためにあり現在病んでいる被害者本人の治療に何の役割も 果たすものではないということだ。
その悲惨さは案外会員に認識されていない。

例えば薬害脳障害でてんかんと睡眠障害と肝機能障害の残った例なら
てんかんは神経内科で睡眠は精神で肝臓は内科で診察を受ける。ところが
いずれも原因として薬を認めず、他の原因をこじつけるため治療方針が二次的 な医療過誤を引き起こしてしまう。てんかん薬投与にしても薬物で分子的にトラ ブルを起こしている脳には逆効果になりかねない。おまけに肝臓の代謝機能の衰 弱があるなら十年程度の常用量程度の投与で肝硬変になりえる。だけど
飲まないなら交差点で意識を失い、引かれて即死のシナリオもある。
だからdiazepam,tryazoramといった抗けいれん作用のある他の薬をしゅうぜん に使う。裁判してても詳しくなれない、途中で死んだら勝訴しない。
だけど二次的な医療過誤がおこりそうなら医療過誤をいわなきゃ駄目だ。だけ どそれを言うやいなや診察は拒否だ。また病院探し、ふりだしにもどる。

被害者は診察にいくのにも大変な悩みをかかえいちいち専門書を大量に買い込 む。私なんか家じゅう医学書であふれている。医学書を壁で覆ったようなもんだ 。好きに医者にやらせたら原因を正しく分かってないのだからどうなるか知れた ものではない。医師より詳しくなった上でそういう素振りを見せず上手に医師を コントロールするコミュニケーションスキルを訓練していく。一回一回の診察が 祈りをこめた綱渡りだ。

ただの一度でもこういう問題が論議されただろうか。
これはこうした団体が実は被害者本人の意志によるものではなく、遺族の意志 と弁護士の意志によってその活動方針が定められ運営されてきたため発生した問 題である。
実際には医療過誤被害者はどこの病院でも診察を拒絶されている。
せめて各地域に医療過誤専門外来を持つ総合病院を作ってほしい。

医師にとってみればその患者の主張に従って診断をして治療を行うことは、
自分の身に危険を招くことであると思えてしまう。
しかしいかに重要な裁判だろうとも治療に優先するものではない。
ここで被害者の立場と遺族の立場は決定的に食い違っている。
情報センターができて確かに原告側の勝訴率は変わった。だが医療過誤被害者 を診察する医師が増えただろうか。


例えば、ある薬害被害者は植物状態になった妻の無念を晴らすためにどうして も裁判に勝たなければならないという。だが植物状態に陥ったものが裁判に勝つ ことを望むだろうか。
その人の望んでいることは少しでも病気が楽になることだけなのだ。
それではなぜその治らない病気を研究しないのだろうか。
それは不可能なことに思えても、そういうことはできないのだからせめては裁 判でもという発想は明らかに間違っている自己中心の発想だ。それは金がほしい のである。さもなくば怨念である。
裁判は鋳造された怨念なのだ。それを妻が望んでいるというのは自分勝手な感 情移入である。

確かに素人が専門家のどうすることもできない病気を治療することを可能にす るほどの研究をする組織はない。だがそれならそうしたことを可能にすることが 最初から目標でなければならなかったではないか。ところがこうした市民団体に そうした発想はまったくなかった。
そして本人でさえいわば裁判と運動しかないという狭い思考に閉じ込められそ れに引きずられて、治療の方はまったくあきらめた。

そしてある薬害被害者は世の中を治すために国会議員になって活躍している。
自分の病気は直らずとも世の中は直せるのだそうだ。またある薬害被害者は人 権運動をやっている。彼らはいつも国と製薬会社を弾劾している。それなら私よ りは元気だし自分の病気ぐらい治せそうにおもうけど。
そして社会は彼らを正しいものと考え私の考えを異常であるという。
プラトンはただ恋いしただけで詩人になった気持ちになり、結局生涯にその時 しか詩を作らない人たちに皮肉を込めて恋をしているものはだれでも詩人だとい った。医療過誤被害者はだれでも英雄なのか。
被害にあったがゆえ英雄になった人たちがいる。だがもし彼らが被害者でなけ れば何の変哲もない人生を送ったろう。有名になんかなるわけないのだ。私の場 合は薬害にさえ会わなければどの道有名になっていただろう。そこが私と彼らの 全く正反対のところだ。ただのおっさんが被害者になったくらいのことで人間的 にそんなに立派になるだろうか。なるわけがないのである。彼らは自分たちに対 する攻撃を差別や弱者虐待であるとして制止する倫理観を作りそこに立てこもっ ている。そして彼らの言うことは間違いもある。
だからこそ私が彼らを批判しなければならない。世間の連中に支持されること で彼らはそのことを証明している。世間の連中はさしあたって間違ったものしか 支持しないからだ。もし人が彼らを攻撃すればたちまち差別と言われて反撃を食 うだろう。だが私の立場からなら彼らを確実に批判できる。私が一番ひどい
被害者だから。彼らは私の言葉を聞くと笑って去っていく。私はその後ろ姿を 見て思う。自分たちの好きなようにやっていけ。

情報センターができて十数年になった。その間にたくさんの患者の人権を求め る市民団体ができてきた。
そして世の中は確かにこの問題を理解し始めた。
だが私は今までの歩みが正しかったとはとても思えない。
弁護士が必殺仕事人的発想で行動するのは問題だ。中村主水はやはり悪党であ る。なぜなら彼は恨みを晴らすだけで被害者を救いはしないから。裁判にかって 悪者を凝ら占めるのが仕事なのだろうか。
どの市民団体も診療現場におけるインフォームド・コンセントを主張している 。彼らはいつも病院に要求する。相手は全然患者のためなんて考えてなくても。

だが話の舞台は大学院でなければならない。例えば世界に自分の病を研究して いる研究者が独りとしていないとする。だったら自分でやらなきゃ仕方ない。あ るいは研究をオーダーできる組織が必要だ。ところがそうしたことを可能にする ための研究所や環境づくりはまったく議論されない。
そもそも研究を患者がオーダーするという発想がない。だが医学の研究という ものはそもそも患者のオーダーから始められるべきものではないのか。
いかに被害者本人たちが自分の災難をビジネスライクに処理しているか。
いかにこうした運動が能力のない人たちを中心に展開しているか。これでは能 力のあるものは助かるはずのところを死なねばならなくなる。やればできるのに 最初からあきらめさせられて。
あきらめさせているのはだれなのか。患者運動をこんな方向に指導してきた人 たちはだれなのか。
彼らは被害者について間違ったイメージを世間に植え付けた。
彼らが植え付けた被害者のイメージは裁判を起こし苦労しながらも最後は勝ち 製薬会社に土下座させる戦闘マニアのイメージだ。
大学の医学図書館でコツコツ本を読んでいるイメージではない。
二十一世紀の薬害被害者もこんな風であっていいのだろうか。医療過誤被害者 とは永遠に裁判と運動をつづける運動体であってよいのか。
そうである限り永遠に弱者でありつづけるだろう。弱者で有る限り権力者の食 い物だろう。
彼らは思想的には進んでいるように思えてもどこか感覚が古びている。
ヒトラーは自らナチスを政党というより思想のない運動体と呼んだが、その意 味で私は薬害を作るのは先代の薬害被害者だと思う。薬害被害者のおん霊じみた 行動が次の薬害被害者を用意する。決して反省しない人たちに反省する振りをさ せる。土下座から頭を上げた瞬間「国民に負けてたまるか何度でもやってやるぜ 」と原告を一べつする製薬会社の猛者たち。いくら勝訴しても彼らが明日飲む薬 でしなないだけの知識は獲得していない。勝訴したと思ったらその日のうちに別 の薬で死んだりして。
本当の勝利は自分の病気を直す事なのに。あらかじめ全ての薬害を予測しえる 学識を獲得することなのに。あるいは手軽にそれを得る環境を作ることなのに。
私は病院の被害者であると同時に彼ら被害者の被害者でもある。
私を身動きとれなくするのは彼らだから。

私が見た現実は勝訴した原告とその弁護士に大金が転がり込んだということだ 。転がり込んだけど本人は病気が治らず死んだ。勝訴は報道されたが惨めな死に ざまはテレビにでなかったんですけど。
彼ら医療過誤の英雄たちは裁判とその勝利のうちに自分たちのそのゆがんだ顔 をしっかりと歴史に刻みつけた。そして世界を一文も富ましはしなかった。なに も変わらなかった。

そしてあらゆる闘争の果てに結局彼ら原告たちは結果的にはこの医療界に無罪 を言い渡すことになるのである。以前寺山修司が飲み屋なんて治安のために国が 経営してんだ。と言ってたけどなんとかセンターは違うんですか。
医療過誤訴訟も被害者の発想も感情もその感情を発生させた神経繊維も全てが 今までの間違った文化と人類史の上に人工的に作り出された虚構だ。

病人の仕事は病気を直す事である。まず足下を見よとは禅の教え、人を相手に せず天を相手にせよとは西郷の座右の銘、全て信仰によらぬ行いは罪といったの は聖パウロである。それが判断の基本のはず。

以上が私の考えである。かんかんになってモニターを殴りつけた人もいるかも しれない。
被害者がじゅうにんいれば十の発想があっていいと思う。必ずしも全員が全て の面で一致した考えを持つ必要はない。一致できるところで動いていればいいの だ。私も自分の考えを人に押しつけて困らしたりはしたくない。


 3 脳死臓器移植問題を考える。
私は脳死は人の死ではないと思う。脳死を人の死とみなすことには反対である 。
人類はそのことによって三つのアイデンティティーを失うことになる。
まず歴史的なアイデンティティーである。今の脳死基準を満たしている人から でも蘇生少なくとも延命させるだけの医学を獲得したときに再び死の基準を心臓 死に戻さなければならなくなる。するとその間だけ人類は脳死を人の死と考えた ことになる。
次に地理的なアイデンティティーである。アフリカやアジアの極貧国は臓器移 植など始められない
。彼らが国内で移植を可能にするときは先進国は
一周回って基準を再び心臓死に戻すだろう。
三つめに言語的なアイデンティティーである。いかなる歴史いかなる宗教
いかなるいかなる民族いかなる国民においても共通の言語はただ人間の死が
心臓死てあるということだけである。
いつ人間を誕生するのかということではキリスト教徒は受精の瞬間を主張する 。
死の意味とか死後の世界といった問題になるとこれは全く食い違ったもんだい だ。
こうした言語的なアイデンティティーを破壊するのはよくないことだ。
私は一貫して反対だった。
だがしかし私は自分の回りの人たちがことごとく脳死段階からの移植に反対す る姿を見て、思った。六十過ぎた人が脳死段階からの臓器移植に反対する。団体 まで作る。
だが既にドナーとしても提供受ける側としても対象外になっている年齢である 。
そして四十五十のおばさんが勇気をもって臓器の提供を受けることを拒否した とかなんとかいいながら出てきたりする。私はそれは卑怯だと思う。
自分の議論に十代や子供の年齢の人が
納得するだろうかということが問題なのに。何も出来ないて゛死ななければ
ならない子供にとってそれがどんなに残酷な議論だろうか。
そのことを考えもせずやりたい放題やってきた人生の成功者がそのことを言う のは傲慢だ。それに日本人の移植希望者が大量に海外に流出し迷惑をかけている 。
私は反対から賛成に変わった。それどころかクローン人間づくりにも賛成だ。
人類は技術を駆使できるだけの平和のあるうちに、そうした実験的な行いよっ て情報を獲得しておく方がよいのだ。核戦争が起こってどうしてもかつての
科学技術水準を回復することができなくなりやれる時にやらなかったことを後 悔するのはよくない。
ただ日本のような患者のを人権のない国では障害者の臓器刈りとかごまかしが
発生する。
そうした問題をしっかりと監視できるシステムをつくることがひとつの条件だ 。


4 今までの医療裁判と患者の権利運動の総括

医療裁判その最大の弱点は
本人の立場が無視されたことである。それはあまりにも弁護士と遺族の立場を
反映したものだった。
本人が願うことは何よりもまず健康である.
その根本的な常識が無視され徹底的な勝訴至上主義のもと
勧善懲悪的に悪徳医師をこらしめることが被害者の美徳とされた。
そして医療被害を社会に訴えることが被害者を救うことになると言われた。
患者の権利運動はいまだ実現しないカルテ開示とインフォームド・コンセント を中心に展開された。そこでも情報公開と患者中心医療至上主義が見られた。
が根本的に必要なことは病院がもたらした健康被害が回復することである。
患者に健康被害をもたらした場合それを金銭で代償するだけではなくまず
いかなる犠牲を払ってもそれを治療するという考え方は根付かなかった。
そのために診察を受けることのできない医療難民のような被害者が
あふれている。医療被害者となったことによって診察を受けられず
死んでいかねばならない人がいる。それが医療による健康被害である
ということで自分の立場ばかり考える医師に診断書を書いてもらえず
障害年金を受けられない人がいる。
ところがこうした現実に弁護士も遺族を中心とする
被害者の会も全く立ち向かおうとしなかった。
この世界ではすべてが弁護士の金銭的収益と家族の怨念と金欲
を中心に展開した。本人もそれに引きずられた。
そこに医療界においてつま弾きにされたり不満を持っている医師が
協力医師として絡んだ。そこに臓器移植から医学教育に至るまで
ありとあらゆる種類の日本の医療の反対者が連結した。
そうしたあらしのような状況の中で私を除くすべての者が自分を見失った。
すべてを大学が決定し一般社会には全く秘密裏に医学研究が進められる
ことにも根本的に反対した人はいなかった。
医学の場合研究はやはり患者の側からのオーダーによって
行われなければならない面もある。
そうでなければ研究者のさまざまな都合だけによって研究内容や計画が
決定される。例えば利根川進が専門を免疫にしたのはただ当時はライバルが
少なかったからである。そこにエイズという風が吹きノーベル賞がやってきた 。
彼は英雄になったがもともとは京大理学部をむしけら同然においはらわれた人 である。
どこの教室の研究でもそうである。
自分たちにとって何を研究することが一番利益があがるかによって
テーマが決められる。あまりに希少な難病は永久に研究されない。
まして患者自身が研究所をつくり自分たちの病気を研究するなど
発想もされなかった。またどうしても治療してもらえない患者のために
患者自身が自分を治療できる病院を作ることも検討されなかった。
そうしたことを言い出したのは結局私ひとりであり全く相手にされなかった。
これは日本でいいだすから変に聞こえるのであってアメリカでは時々あること だ。
例えばハンチントン舞踏病の原因遺伝子座を突き止めたのは金持ちの患者親子 と
それが集めた研究スタッフたちだ。
そうした体制づくりも一朝一夕にできることではないのだから少しずつ考えて いかないといけない。
実際に被害者たちは裁判については徹底的に争うのだが
自分の病気が治らないということについては実に従順に受け入れる。
そこで自分があるシステムの中に組み込まれていることに気がつかない。
例えば家西悟先生である。遠慮無くいえばエイズ患者が病気が治らないのに
社会を治療するために国会をうろうろしている姿はやっぱりどこか変な感じで ある。
彼は自分の病気が治らないということは受け入れるのにその治らない病気が
国家の犯罪によってもたらされたということは決して受けいれることはできな い。
彼はそうした国家を完ぺきに治療しないと気がすまない。
どうして自分たちで研究所を作ってなおそうとしないのか私には理解できない 。
医療問題は誤った英雄像をつくり出してしまった。
そしてそれは医療専門弁護士と先代の薬害の被害者よって
いわば仕掛けられた運命であった。
二十一世紀の線路をどのように引くのかじっくりと検討すべき時期である。
日本人がいつまでたっても相手にされず金をたかれるだけなのは
発想が乏しいせいである。おもしろくないからである。
あとはどうでもなにはともあれ正確にかつ新しいことを
言ってさえいればとりあえずいつでも外国人にガツンといえるのである。


 4 医療過誤救済の構造改革         
「あなたが言う薬による障害とかそういうものはですね、裁判ではっきりした場合は金銭にて損害賠償をお支払いしております。そういう形で対応させていただいておりますので。それが常識だと思います。ですからその上あなたが言うような治らないのの治療のための研究にそんな何十億の予算を組むとかそういうことは二重取りでしょ。もし治ったら今まで裁判で払ったお金原告全員から返してもらわなきゃならない。治らないと言う前提で支払っていますし、我々にそういう責任はない。そりゃやりたいという学者がいたらやったらいいけど。むしろこっちにしたらそんな事いいにくるんなら裁判なくしてくれと言いたいですよ。」かねてから薬によって発生した脳の細胞、遺伝子の修復を行う薬(リカバリードラックとかクリーニングドラックとか言っている)の開発を計画しているのだが、こういう事を言われる。要約すれば医療過誤被害者の命というものは被害を受けた瞬間から既に自分のものではない、原告とそして弁護士、協力医師、マスコミ、作家、も含めて医療界及びそれと対立していても医療過誤文化に携わるプロフェッショナルの方の所有だというのである。許される唯一の抵抗は自分も原告になり金を取ることだ、民事訴訟判決のルール上損害賠償返還が出来ない以上治療は経済社会のルール違反だ、治療のための研究に国の金を使うのは不法行為だ、被害者はめいめい自分の棺桶を引きずり、墓石を背負い、位牌を持って歩む運命なのですと。こういう屁理屈が不可侵の医療過誤憲法、医療過誤条約として根底にある。文化摩擦。損害賠償は医療界からの手切れ金のように支払われる。原告勝訴の蓄積は医療過誤の存在証明だが医療過誤被害の治療放棄の免罪符として逆手に取られ、裁判勝訴を医療過誤救済として明文化する事は、同時に全医療過誤被害者への治療努力の永久拒否権の確立を招いた。医療界と原告側から切り捨てられた第三世界、双方のやっかい者として追放された国王としての本人の復権が鍵だ。被害者はコインロッカーベビーのようにこの文化圏の中に閉じこめられ、脱出できないまま生きながらに屍として埋葬された人として、近所のおばはんに珍獣と呼ばれ死を待っている。死にゆく王に権利なし。だが治療のための研究を求めた被害者というのは私は聞かない。本当なら、もう誰かがとっくの昔に言い出してそういう領域が医学の中にあるはずなのである。集団薬害にしても彼らは気の遠くなるような追求の果てに結局は医学に無罪を言い渡したというか、 むしろ金は受け取らない治せ治せとどこまでも迫って、WHO本部前でハンストでもしていたら国際問題になって、国が金を押しつけに来たかもしれない。医療過誤の悲惨は医療界だけがもたらすものではなく原告側も共に作り出した文化にも依存している。私はこの考えを医療過誤の社会共謀説と呼んでいる。だからどうしても治りたい人は請求に治療のための研究の遂行或いは研究機関への依頼を追加し、相手がもし治療が成功した場合後で損害賠償の一部を回復に応じて返還するよう求めればそれを受諾する旨、準備書面提出段階から判事に伝えて裁判に望むのがいい。そういう内容の判決文を書いてもらっておけば後で役に立つ。その場合弁護士には払い戻しを請求しない事を確認しあっておく。もっともその請求の受付機関を確保し窓口として霞ヶ関の中のどこかの部署に役割を保たせそういう機能を作っておくことと、異例の「返還」を適法と認めるよう知り合いの最高裁判事にたのんどいて了承を得て当該裁判所判事に伝えておくのが先決だが。私が団体の役割だと考えるのはここの部分である。後は確かに「そんなのは学者の仕事、関係ないの」と言われるとおりであるかもしれないが、学者はシステムを作れない。今ヒトゲノムも解読され治療とかそういう事が考えられる時代になっているのに、医療過誤被害救済界の古い体質というか、加害者と被害者がボケとつっこみではないが相方のように同レベルに存在するあり方が問題である。私はするべき事をするという事を主張しているのに、各団体の人らは「医療過誤に関係があるということでやりたいことをやる」という発想でいる。こんな微妙な世界でやりたい事をやるでは、どうしようもない悲惨な人がでる。しかし世界的に見てこうした治療の研究は例がないのは確か。昔、富豪の娘が研究チームを作ってハンチントン舞踏病の遺伝子座をつきとめた事位はあったが。これはその数十倍の規模のゲノム研究、ニューロサイエンス、製薬を動員したとてつもないプロジェクトである。会長は「そーなんだよ。日本は勝訴率だけあがってんだよ。あんたがそういうの作るってんなら、どういう形で作るかだねー」といってたけど。こうした研究をレールに乗せるには基礎医学の学者、理学部分子生物学系、薬学部、製薬会社の協力がいる。国内なら理研かどこかの大学か、金を出してもらうのは例えば科学技術振興事業団の「さきがけ」「クレスト」とか中曽根元総理の作った「ヒューマンフロンティアサイエンスプログラム」。外国でやるなら人権感覚のいいカロリンスカ研究所か総合力で勝るNIHか、だめなら一般大学か研究所か。私は世界中の学者を数多く知っているからですね。基金を作ってそういう部門を作って、偉い人に顧問頼んで、中心になる学者招聘し、ポスドク集めて取りあえずスタート、雑誌をだしてホームページつくってさらに人集めと。毎年外国ツァーしてるし、ジュネーブ二泊で国連人権委員会高等弁務官事務所、WHO、国際赤十字を回れるので、日本の患者の状況を皆さんで説明に行って「法律制定が緊急に必要と判断します」とか書いてもらってきたら。アメリカでもワシントンの国際アカデミーの人権委員会行くのは、病院見学ではなぁ。WHOから日本にあるWHOの委託研究施設に頼める。権利法の方も外圧を発生させないと出来ない、このままズルズル出来ないとそれ自体が問題だし、芸術家でも逆輸入されたのは生き残り内地で頑張ったのはのたれ死んだ。要国際社会の鑑定書、日本社会を動かす場合の常識。医療過誤専門外来としては国際赤十字に頼んで日赤に言ってもらって、便利のいい場所の日赤病院の内科内に作る位しかない。ヤル気があれば幾らでも出来る。対象は薬でしかならない、しかもその薬は大きな改良が見込めないまま生産され続ける、しかも脳或いは回復力のない部位に発生した不治の、しかも今後も一定数以上の患者が不可避的に世界的に発生する病気に限定される。治療対象は細胞と遺伝子である。どのように病理が発生しているかを正しく掴むことも難しい。昔の研究は死亡者の脳を電顕で見るだけだった。今はモデル動物を作ってトラブルの出ている細胞を培養して各遺伝子の発現を見ていく。その薬の毒性は細胞レベルで発生しているのか、それとも遺伝子レベルで発生し遺伝子が異常蛋白やフリーラジカルのような毒性物質を作って細胞死を招くのか。神経細胞の中の特定遺伝子を治療可能な化学物質なるものは無論未発見である。



5被害者自身のために                   
          
「本当に医療被害者を救済したいのですか。医療過誤被害者のために戦いたいのですか。あなたは被害者を愛していますか。それならどうして被害者本人の治療には関心をもってくださらないのですか。」私は何度も関係団体に繰り返してきた。春先にもある団体の総会で、かねてから主張しているこのことについて考えてもらっているかと尋ね、嘲笑され大いに傷ついた帰ってきた。薬でしかならない病気というものがたくさんありそうした病気は定義もされず研究の対象にもなっていない。被害者は自分の病気がその治療のために世界の誰によっても努力されていないという絶望的な状況に置かれる。被害者をこのような状態から救出すべく私は今年1年だけでも国際カテコールアミン学会、脳の機能とその異常、日本神経学会総会、ラディエーション・アンド・ホメオスターシス、バイオロジカルフィジックス、ニューロ2001、国際神経精神薬理学会広島会議と努めて学会に出席してきた。そしてその度になぜするべきことがたくさんある私が自分の人生を犠牲にしてこういうことしなければならないのだろう。団体はなぜ逃げるのだろう。そうしたうらみが積もっていた。医療被害を受けたことをきっかけに医療問題にさまざまに主張を繰り返される人もいる。しかしそれも被害者個人の障害の治療とは何の関係もない話だ。関係団体の状況は学会と何のつながりもない状況である。そこで主張される情報はイデオロギーの公式にはめられているという気がする。医療界と接続して被害者の治療のための研究を要望するということをなぜしてくれないのだろう。それができなくなるほどの対立軸をなぜ作るのだろう。被害者にとって医師に対するにはうらみは十年で消えてしまうが障害はいつまでも残り人生を苦しめ、そして若いときに薬害で脳を障害された患者は二十年たってようやく中年で回復する。しかし神経細胞内の遺伝子の損傷によりも五十代には脳腫瘍を起こしたり別の病気になってしまう。その予定されたプログラムを回避するだけの医学をせめて作ってあげることが本当の医療被害の救済である。だがこの世界にそうした計画はない。長年その悲しみを察すると口に出せず一人で家の中で叫んできたことがある。治すべき体もない遺族たちが団体の活動方針を先導し、医療被害者像を自分達の主張が全部だという形でマスコミに流し続ける姿はどうかと思う。学者達はそんな研究は裁判の種になるといってしてくれない。その時彼らの脳裏にあるのはテレビに出るそういう人達である。この状況では原告の受け取る金は今苦しんでいる本人の血ではないのか。大多数の人は裁判も何も出来ないのである。神は死んだ人間やそれを悼む者より今病に苦しむ者をより多く愛されると聖書に書いて有るではないか。ニューロ2001には二人のノーベル賞学者が来日した。だが二人とも専門が違い話がかみ合わなかった。もう一人プログラムに記載されていない先生はヒューマンフロンティアサイエンスプログラムの関係で来日していた。その人とは最終日に少し話せたがすぐに東京に行かれた。彼はワシントンの国際アカデミーの人権委員会の座長でもある。すでに国連人権委員会、国際赤十字、WHOにこれも団体の非協力的態度によって無視されている私は彼にこの問題を取り上げてほしかったのだが、東京でのスケジュールが過密であえなかった。広島に出発する日その日に彼の講演会があることを知った。それしかチャンスはない。だが広島は広島で大学者が来ている。新幹線京都駅から学会事務局に電話をしてある有名な学者のスケジュールを確認すると、彼は明日朝1番の飛行機でかえるという。頭が変になるほど迷ったあげく結局東京はもうあきらめ西に向いて新幹線にのった。権利法会に代わりに東京をなんとかしてもらえないだろうかと頼んだが、返事がなかった。広島についてからファクスを招聘先に送り渡たしてくれるようにたのんだ。後で手紙では駄目だ。あくまで会って説明することが大事だと考えたからだ。先生から私の携帯に呼び出しはこなかった。広島で会えた大先生はあらかじめ送った私の論文をたいへんほめてくれた。話す時間がとれ取れず悩んでいた私に会社が声を掛けてくけた。ホテルから飛行場までのタクシーに同乗させてもらえる事になった。そのなかで私はいろいろと先生と話すことができた。さてまだまだ学会は続く。連日偉い先生の難解な講義で大変だ。薬による脳障害の問題に関しては理事長はそれほど重要な問題とは考えていないとのことだった。私はこの学会でこの問題を取り上げてほしかったが状況は困難であると感じた。最終日の記念講演で私は質問の時間に薬による脳障害の研究をテーマとして取り上げてほしいと申し出た。ところが私の英語のまずさで会場の皆さんに話の意味がわからなかった。唯一その前に話をしていた学者が私に同情的な態度をとってくれた。会場ではどうしても十分に話をする時間がない。人が次々帰ってしまう。前日に私の論文について質問させてらう約束をしていた学者にも話す時間がなかった。私は先生たちがとまっている高級ホテルに一泊をとった。メッセージを伝言しようとようやく英語を書き上げたフロント持って行くとすでにチェックアウトしたとのことだった。疲れ果てた私は原爆ドームに見送られながら広島を後にした。家に帰ると母が心配とストレスから風邪を引いて寝ていた。



6医療過誤問題の歴史的展望       
 今世紀の活動を開始するにあたり、正確な方向性と到達目標を明快にするため、まず前世紀の歴史を振りかえって問題点を整理することが求められている。「世界史を予め規定しようという試みがなされたのは本書が初めてである。」これはシュペングラーの「西洋の没落」の冒頭の一言だが、彼の方法論に習い医療問題と患者運動の未来を予想し悪しき運命を回避しようと努めよう。誰も今までの努力が完全だったとは考えていないがどうバランスを調整すべきなのか。
  まず第一の問題は医療過誤被害救済の定義である。医療過誤被害救済とは何かを再度問わねばならない。定義を議論する事が歴史を新しく形成する場合重要で、ないと歴史が歪む。この世界へのアンガンジュマンが放棄されたので医療過誤哲学が無い。結論から言えば医療過誤救済とは被害者の憲法上の生存権の保証ではないですか。従って本来医療被害の救済はまず第一に損なわれた被害者の身体の治療です。それは被害者に対する誠意のある診療と、治療を可能にする研究活動によります。裁判や社会の啓蒙は最初は二次的なものであったのですが、被害の救済は原告の勝訴と再定義され民事訴訟法の文脈の中に集約されました。裁判はこの十年間で完全に近い成功を収めました。医療界が診察、研究の義務を裁判による敵対化を口実に放棄するプロセスで憲法上の大儀と民事訴訟法上の実務は分断され、裁判によって強調された対立軸は医学者社会と被害者の切断を普遍化しました。結果被害者の診察拒否、研究拒否という二次被害が発生しました。医療過誤観、被害者像は被害者の屈折した心情の表現として社会に形成された。だれもがかかる病気に医療過誤でなった場合は当てはまらないが、特定の薬と特定の病理構造が一対一で対応していたり、医療過誤でしか発生しない病変というものがあり、人はしばしば医療過誤によって世界に何人かしかいない奇病になります。殊に脳の薬害の場合、その人の遺伝子型、細胞構造の特質と薬剤が想像を絶する複雑さで反応し現代医学をもって認識しがたい病態を作ります。それらは無視され研究対象からはずされます。もしそうした人が世界の誰も自分の病を理解しよう治そうという努力をしない事によって体が治らず死ぬとしたら、医療界への働きかけはやはり重要です。被害者の救済は一面医学がどの程度に損害を認知し得るかにかかっている。障害を理解できない被害者の救済をどう可能にするのか。医療過誤の理解を深めるための医学研究なる発想は大学院に存在していない。まず全ての医療過誤を医学的に認識出来るように医学を進める事が第一である。我々の認識可能な医療過誤による疾病は全体の半分に満たない。医療過誤でなくとも神経内科では全患者の半数にしか診断がつかない。EBM、薬剤疫学、総合診療、リスクマネージメント等医療過誤救済のための医師の努力は一部非常に誠意のあるものだったが、既知の医療過誤の予防のためのものに限定している点が残念である。診療現場は全く被害者に対応できてないんです。後の診療で死ぬんです。どうか状況と優先順位をお察し下さい。正直に診察出来るわけないじゃないですか、医者の身になって考えてください。どのようにして診察を可能にするかを考えなくてはいけません。被害者を診察しても裁判に一切利用されない保証を医師が確保できる制度を作るとか。臨床では医療過誤専門外来を設け、研究面では医療過誤による固有の細胞病理を持った疾病を分子生物学的に追及し、疾病名を与え病理構造を把握し治療薬の開発を行うべきです。でないとアルツハイマー病が治る時代となっても、医療過誤でのみ発生する病気については治療できない。現在の所そうした病気の研究は世界で私一人が細々と行っているというこの現状にこそ医療過誤の真の悲惨さがある。「医療過誤による難治症例の診療」という本出して欲しい。例えばある患者の場合投与終了から20年経っても不眠、てんかん、何かすると頭がすぐ疲労するという症状が残っている。つまり現在尚多くの神経細胞が機能不全の状態にある。投与終了までに全ての破壊が終了し、しかもそれが細胞レベルにすぎない場合もう少し回復が良いはずである。これは神経細胞内の遺伝子に破損が入りそれが投与終了後も異常な蛋白質を作り出し、それが新たなる細胞内病変を起こしているが、徐々に修復も進んでいるといったこみいった病態なのである。 この病態は加齢により脳腫瘍やアルツハイマー病に進展しかねない。
 夢がないせいか被害者団体にヤングは余り来ない。金も余裕もない彼らにそこはゆとりのシルバーエイジが勝訴を追求する優先座席に映る。若い人にとって医療過誤被害の救済とはやはり健康回復、社会復帰でしょう。年輩の人に比べ彼らが健康回復しない事による損害は大きく、また病変を抱えたまま長期間生きる事は危険です。最近は医療過誤が起こると訴訟予防のため退院までに早く死なそうとする傾向もあると聞きます。医療界との対話を形成しつつ裁判を盛んにするべきであったが難しすぎた。新世紀の課題は民事訴訟法の文脈を支柱としつつも、被害者をそこにあてはめるのではなく医療過誤被害者の抱え込んだ悲惨の多様性に医師、弁護士が対応する方法を考える事ではないですか。患者中心医療同様、被害者中心救済といいますか。
   次の問題は宗教的に医療過誤問題はどのように把握されるべきかが問われていない点である。私はこの問題に関する神の御心を考え、聖書の神の現在の意向に添うように思想を形成しようと努めてきた。マタイ伝は一見訴訟に批判的であるがそれは相手の謝罪、反省、補償を前提とした復讐禁止であり、訴訟は御心であるが一面神がそれを研究治療に優先させる事も支払いをもって治療義務に代える事もなさそうに思える。医療過誤問題は法律的正義と宗教的正義が合致しつつ同時に二律背反する社会問題である。主なる神がご不満ではないかと。我々は何をおいてもまず天地をお造りなった方を恐れなければならない。本人は運動の矢面に立たされ、医療機関でひどい仕打ちを受けることもあります。
  日頃から学校の中では薬害による疾病の研究を依頼していたが、そうした問題意識の希薄さ、予算のなさ、医療界からの反発の予想などが有り、話に乗って貰えなかった。
 4月に京都で日本の学会史上に残る脳科学の国際学会が開かれ、カゼの発熱を押して出席した。国際アルツハイマー病パーキンソン病学会、国際カテコールアミン学会合同シンポジウムである。海外から超一流の脳学者が集まった。何人かに日本の状況を説明し治療のための研究を考えてくれるよう希望したが、彼らの態度は歓迎的であり、私の人生をプラスに評価するので驚かされた。産まれて初めて生きていると感じた。現代の脳科学の最高峰カールソン、米国国立保健研究所ゴールドステイン、クレン、クレーベリング、シドニー大学のべネット、英国のジェナー、ドイツのホロースキー、カロリンスカ研究所のステヤーン、イスラエル生物科学研究所のユーデム、ストラスブルクのエミリア・ボレリーらの知遇を得た。全員超一流である。ドーパミンの発見とLドーパの開発で去年ノーベル賞を受けたカールソンも私に手渡された権利法ニュースを持って帰国された。出会い損ねたノーベル賞学者グリンガード、ハーバード大学セルコー、らにも手紙を書きたい。 また先日の科学技術振興事業団の「脳の機能と異常」シンポジウムにおいても、薬害による脳障害の病態解明と治療のための研究を、文部科学省からの巨額の公的資金を注入した国家プロジェクトである、戦略的基礎研究推進事業の一環として取り上げてくれるよう権利法ニュースを渡して事業団のトップに要望した。ですが個人としての努力には限界があり、彼らに本当に研究をレールに乗せて貰うには組織の後押しが必要です。今後の努力は権利法会と医療事故情報センターでしていただくのはご無理なら長く会員でいる権利法会、同じく維持会員で創設時に寄付もした医療事故情報センターでどちらか乃至合同で、私に例えば難治性疾患研究部長、学術研究部主任研究官、特別研究員とかそうした肩書きを付けて下さい。そうでないと希望が通せずせっかくまいた種が生えない。世界の薬害被害者が生きるか死ぬかの瀬戸際だ。次回理事会、世話人会で承認してください。そういう形で今後相手様と交渉させて貰ってよろしいですか。まず医療過誤で発生する他には見られない解明されていない疾病を網羅的に整理し、合同で全面的に努力して欲しいんです。国の内外を問わず各研究者への研究の依頼は常時行いたいです。それは団体の主旨ではない、個人の理想として個人的に追求してくださいといわれるならばそれは困ります。私は団体がしてくれない故に医療過誤の中枢部分に突入せざるを得なかったのです。さらにWHO本部と国連本部に定期的に代表を派遣し、両機関自体でのプロジェクトチームの育成とか、被害者の治療のための研究の推進を日本政府、米国政府、欧州主要国政府に要望して貰えるようにするとかも必要ではないですか。皆様一つよろしくお願い申し上げます。
 



7 医療過誤----治療のための研究が急務----
長い間医療過誤被害の救済に被害者、弁護士、医師と取り組んできたが、一つ提言したい。まず第一に医療過誤救済とは被害者の憲法上の生存権の保証である。従って損なわれた被害者の身体の治療が先決である。誠意のある診療と、治療を可能にする研究活動が必要だ。裁判や社会の啓蒙は本来二次的なものだが、被害の救済は原告の勝訴と再定義され民事訴訟法の文脈の中に集約された。EBM、薬剤疫学、リスクマネージメント等の医師の努力は予防に限定している。 医療界が診察、研究を裁判による敵対化によって放棄するプロセスで憲法上の大儀と民事訴訟法上の実務は分断され、裁判によって強調された対立軸は医学者社会と被害者の切断を普遍化した。だれもがかかる病気に医療過誤でなった場合は当てはまらないが、特定の薬と特定の病理構造が一対一で対応していたり、医療過誤でしか発生しない病変というものがあり、人はしばしば医療過誤によって世界に何人かしかいない奇病にる。殊に脳の薬害の場合、その人の遺伝子型、細胞構造の特質と薬剤が想像を絶する複雑さで反応し認識しがたい病態を作る。それらは研究対象にならない。
 世界の誰もその病を理解しよう治そうとしない事によって彼らは助からなくなる。被害者の救済は医学がどの程度に被害を認知し得るかによるから、全ての医療過誤を認識出来るように医学を進める必要がある。認識可能な医療過誤による疾病は全体の半分以下だ。医療過誤でなくとも例えば神経内科では全患者の半数にしか診断がつかない。残りは「その他の脳の障害」となる。他科も含め疾病名がついているものでも稀少難病患者は研究されない。多くの研究室で代表的疾患に集中し同一の内容が競争で進行する現状は、社会民主主義的な視点からの整理、調整が、即ち医学研究の構造改革が必要だ。診療現場は被害者に対応できていない。どのようにして診察を可能にするかが問題だ。臨床では医療過誤専門外来を設け、研究面では医療過誤による固有の細胞病理を持った疾病を分子生物学的に追及し、疾病名を与え病理構造を把握し治療薬の開発を行うべきだ。今スタートしないとアルツハイマー病が治る時代となっても、医療過誤でのみ発生する病気については治療できない。そうした病気の研究は、殆ど私一人が細々と行っているというこの現状にこそ医療過誤の真の悲惨さがある。「医療過誤による難治症例の診療」というような本一冊ない。被害者中心救済というか、新世紀の課題は被害者を民事訴訟法にあてはめるのではなく医療過誤被害者の抱え込んだ悲惨の多様性に医師、弁護士が対応する方法を考える事だ。ヒトゲノムも解読され、医療過誤による独自的な疾病の治療が二十年程度の研究で可能になる今日、何故この世界は旧態依然と裁判所を中心に回るのか。薬物によって発生する他には見られない病態を網羅的に整理し治療するフィールドを確立し予算を取って本格的に立ち上げたい。今後のゲノム創薬の基礎としても重要である。生命科学の研究テーマを公募している公的機関もあるが、学生なので応募出来ず困る。
 


  
8精神科医療過誤問題の困難        
 沈黙する患者たち
今や勝訴率45%といわれる医療裁判も精神科に限定すればその半分の一だろうか。最も問題の多いわりに数は極端に少なく、その少なさが問題の深さを物語っている。精神科では一度裁判起こせば、診察してくれる医療機関は保証されない。精神科の患者たちは一般に法曹界を信頼していない人が多い。他の診療科であれば司法は医療を改善してきた歴史があるが、精神科の場合主に医療を改善してきたのは国連と米国の力である。ずいぶん前のことだが駐日米大使ライシャワーが精神障害のある日本の右翼少年に斬られた。この事件は治安を重視した精神衛生法つくらせることになり、以後この悪法の下にあらゆる残虐な事件が繰り返された。この法律がようやく改善されたきっかけは宇都宮病院事件が国連の人権委員会で取り上げられ、カナダのニーナ・シェンナ代表らによって日本政府側が法律改正を約束させられたのである。この事件の特殊性は大学医学部との結びつきであって、研究用に脳が受け渡され、その切り出しと保存作業を患者がさせられていたことにあった。新聞報道では看護人は空気銃で患者を撃ちまくっていたという。かねてからうわさのあったある学者とこの病院の関係が明るみに出された。そしてこの医師が大型薬害裁判、公害裁判に原告側に立って戦った協力医でもあるがゆえに、医療界は猜疑心をいだいた。その医師は逮捕されず無数の原告、原告側弁護士がその周囲を取り巻いて勝訴してとんぼ返りして喜んでいたからだ。医療過誤裁判自体が非人道的なネガティブなイメージとして精神科には定着した。そうした裁判を懸命に戦う原告たちの姿やそれを描いた作品はしらけた印象を精神科に与えた。それをそうした薬害裁判の原告にいうと薬害被害者を弾劾する人だと非難された。世界の中での日本という視点を持たず、結果的に国連のターゲットを保護し祭り上げた。今後日本の医療過誤弁護士や原告や協力医師が国際化を計ろうとした場合、この事態を国連、国際社会に説明するとき困る。一般的な精神病院においても基準投与量の何十倍ものメジャートランキライザーが平然と投与され、沢山の患者が突然死した。またそうした事をした先生が反省もせず、堂々と協力医として患者の権利や裁判勝訴に取り組んでおられる場合もある。原告たちも患者運動の責任者たちもそんなことは知らない。自分達に協力してくれる先生がいい先生だ。そんなレベルの原告達を世界の誰も相手にならない。このようにして裁判も患者の権利のための運動も精神科への配慮を欠いたものであったし、精神科に対する配慮を付け加えるとすればこれまでの問題を蒸し返してしまうことになり後始末が難儀だ。精神科の患者達は誰にも何も言わない事によってしか生きていけない事をよく知っている。夏に文部科学省内に池田小学校事件特別委員会と大きく書かれた部屋を見つけ良くない兆候を察した私はつくる会事務局に合宿もあることだし取り上げて下さいと提案していたのに。国立だし裁判怖いし子供が死んだので批判も出にくいし、とうとうこの秋隔離収容主義の復古調の新法案が発表された。日本の精神医療の唯一の長所である触法精神障害者の人権保障が破壊される。
 精神科の診断の難しさ
精神科で誤診の問題に取り組む場合、弁護士を幻惑させるのはまずその疾病分類の不可解さである。精神医学というものは東洋医学同様経験医学であって、病気自体をなにがしかの検査等で認知し得るものではないから、長い狂気との付き合い後に人類が作り上げた文化というほかはない。現在国際的にDSMという診断基準に沿って統一されてはいるが、例えば日本ではそこでは精神疾患から除外された癲癇を今でも精神病とみなしている。もともとクレペリンの三大精神病説があって日本ではその方が国民の常識なじんでいるのである。境界例、偽分裂病性神経症、人格障害、試しにこういうものの診断基準を身近な医師に聞いてみれば、診断が微妙すぎて現場での医師の短時間の観察を持ってなす事の困難さが解るだろう。
 協力医は少ない
精神科医は5500人ぐらいしか日本にはいない。精神科では扱う薬の難しさゆえに精神薬理学という領域が独立している。だが副作用を総花的に羅列した研究は多くても、そうした薬が脳をどのように破壊していくのか、そのプロセスを追尾することは臨床精神医学者の能力を越えており、神経細胞内病変であるから脳専門の一線級の分子生物学者を投入しなければならない。米国の場合麻薬が社会問題だから予算が付き、数多くの学者がこの分野で成長しているが日本では研究者層は薄い。
 武器としての薬
メジャートランキライザーが生産されるのは治療薬のためだけではなく、武器としてでもある。日本ではピンとこないが、政情不安定の国や、軍事国家には事情があり、思想犯の脳コントロールは重要な課題である。学者たちはその筋の事情によりこの薬による障害を追求しにくい。この薬で最も多く発生するのは分類不可能の脳障害なのだが、他覚的にどうしても認めざるを得ない悪性症候群と遅発性ジスキネジーが非可逆的な副作用として書物には書いてあるだけだ。他は安全保障上の機密というわけだ。この種の薬について西側で公開される副作用情報はすべて精神病者に対する投与が前提であり、対健常者脳投与による脳障害に関する最大の情報タンクはおそらく旧ソ連の持つものだろう。強制収容所の政治犯について追跡調査を行おうとしたが、開放後彼らは金のあるものは米国、ドイツに逃亡しないものは国内に残っているが特に治療を受けておらず、その薬をどれだけ投与したか、死亡例の剖検、人体実験の記録とか情報はすべていまだにKGBが公開を拒否している、ロシア政府を相手にしつこい態度をとる事はよくない。ロシア人学者達も怖いらしくそっぽを向いてしまう。
このように精神科の場合医療過誤の根は深く、しかも日本古来の差別偏見とか、教育事情とか、最近の痴呆老人の状況とか、精神医学の診断のあいまいさとか、隠蔽された過去の大量の投与とか、外国の安全保障や軍事、等多岐にわたっている。一筋縄でいく世界ではない。一般の弁護士にはまず手をつけようもなく、よほど優秀な弁護士をもってしてもやはり非常に困難である。弁護士さん中心の団体である。それなりにやりがいのある仕事として、新しく精神科に取り組みませう。
お薦めの方法     
やる気はあるが難しい、忙しいので一気呵成に精神医学医療を理解したい人には世界精神医学会横浜大会 http://wpa2002yokohama.orgがいい。世界最大の精神科の学会ですが今度初めてアジアで大会をやります。文中の宇都宮病院問題の詳細は大熊一夫著 新ルポ精神病棟 朝日新聞社をご参照下さい。
10 触法精神障害者問題         
 精神障害者の人生の展開は疾病の種類と程度により様々であるが、問題の容疑者の場合、自分が「障害者」であることを受け入れず、常識を無視し問題発生を顧みず社会復帰至上主義に突っ走る異常に前向きでつんのめった男であった。運送業、タクシー運転手などを転々とし医者に化けたり、わざと車をぶつけてそれをきっかけに女をものにしたり。体当たりに疲れ果て最後は恨みを持つ小学校に特攻して大円団の社会的戦死だった。最近は無理をしないで障害年金をもらって寝ていたり、憂さ晴らしで文句を言うだけの人、作業所しか行かない、すぐ自殺する者が多いのだが。この人の場合は疲れると切れて人を殴るようだったが、もししっかりした地域ケアがあればこうした大惨事はなかっただろう。先輩として親代わりに若い衆の面倒を見ていた年寄りの患者ももういない。昔は「きちがい道、きちがい魂」の伝統文化がこの世界にはあった。精神障害者の犯罪はギリギリまでこらえた便が漏れてしまうように、差別と過労に耐え続け最後に遂に暴力がでるケースが多い。最初はちょっとしたお漏らしだが、その度に反省すべき市民社会に逆に「反省」させられついに大排便に至る。その暴力の不可解さが健常者に非常線を張らしてしまうが、それ以外の犯罪はむしろ少な目である。そして性も含め彼らは日頃楽しみというものが殆ど与えられない故排便が促進される。問題はむしろ精神医学の教科書一冊持たず閉じこめろと叫ぶ市民である。その後、触法精神障害者をいかに管理するかの議論が大急ぎで馳せ参じた。政府を突き動かすのは全国のPTAの人達だった。だが新しい法律では人権の保護が機能しないことは明らかだ。法律家が退院の是非を決めることに参加するが、日頃会ったこともない精神障害者を適切に判断できるだろうか。施設の内容も問題だ。精神医療自体を問う裁判は一回も無かったのだが弁護士が精神障害者のために闘えなかったのは、相手が国の不正というより国民の差別であったからである。弁護士は国民と闘うことは出来ない。ちょっとしたマナー違反を寄ってたかって大勢の市民がいじめ、追いつめられた障害者が暴れたところで待ってましたと捕まえ、簡単な喧嘩が大きな被害届になり、一方的に障害者側が悪いという調書になり弁護士はむしろ相手の弁護をし、国民全体が一体となってチャンスだとばかり全力で収監しようとする。触法精神障害者には私撰弁護人が付かない事も多い。取り調べ中も裁判でも、獄中でも権利は守られない。刑事弁護の方法論の確立が必要だ。出所後はほとんど、「死ぬしかない」。前科者、精神障害者どちらか一方でも受け入れない社会が触法の人をどう扱うか。
精神病院の事件に先だって必ず悪法があり、その改悪のきっかけに必ず患者の起こす事件があった。日本では古くは鳥獣を扱う法と同じ法律で精神障害者は扱われ、種痘を精神障害者の身体で作ったり去勢もしていた。精神衛生法の頃は精神障害者は精神病棟以外に収容してはならないとされ、身体の病気でも一般病棟に入院の許可が出ず重症化する事が多かった。京都ではある医療法人が大きな事件を起こした事があったし、新聞報道によると煩瑣に起こる患者との軋轢を押さえるため暴力団員が雇われており、医療用覚醒剤横流しの噂もあった。滋賀県では入院患者に餓死者が出たこともあった。昭和天皇が滋賀県を訪問なされたとき滋賀県の精神障害者全員のリストの提出が警備の必要上要求されたと聞く。手近なところでもこんなであり、青森県などでは、患者は「たたりがある」ので墓に入れず共同の墓を作るクラブが院内にあった。今回の法改正で米国や欧州の保守的な国の触法患者に対する警備が引き合いに出された。以前は触法は凶悪犯の場合日本では一生入れられて棺桶退院が多かったが、最近一般精神科患者と触法患者に分け隔てが少なくなってきていた。だが銃犯罪や麻薬のはびこる社会、そして精神障害者自身の体感差別は恐らく半分以下、地域ケアも立派な国での事である。またそうした国も触法への過剰警戒を問題視している。無理をしなければキレない。だが普通と同じに就職すれば障害者は無理をしてしまうのである。暴力は悪いが精神障害者が触法を恐れ人生を萎縮させることも問題である。日本は精神障害者と市民が一度も共生できなかった国である。長い長いとてつもない有史以来の差別の末に、ただ一度だけ国連の情けで日本政府が動き制度だけでも開放的にしたのに、後が続かず国民が付いていけず、格好ばかりの開放となり、肝心の差別の減少はないまま、また振り出しに戻る事になった。日本は安全だが一度変わったことをやりだすやその人にとってとても危険な社会となる。「安心して狂える」安全のなさは国民に個性化への恐怖心をもたらし、閉鎖的精神医療が国民の没個性化を産んだ。たとえ芸大を無くしても精神病院を開放的にしておけば芸術は自然に発展する。危険を顧みず思い切った挑戦をやるからだ。ゴッホもセザンヌもガシェという優秀な精神科医が支えていた。最近ふるわないが戦前は長年に渡り天才人の主要なポストをことごとく精神病院出身者が独占してきた現実がある。ノーベル文学賞有力候補のジャネット・フレイムはニュージーランドで精神分裂病と誤診され、千回以上の電撃療法を受け英国に渡って誤診と診断解除されその後作家になっている。こうした誤診の解除をどう可能にするのか。十年で生産流通の制空権を中国に奪われると経済学者達はいう。個性を看板にする国造りをするなら、精神医療が礎である。触法精神障害者問題を軽々しく処理することは国益にならない
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11医療過誤事件解決の技術     
@ 弁護士さんをお願いする金がない、あるいはどうしても断られる場合、やむを得ず素人が自分で解決に当たりますが、その場合のテクニックについて書きます。各事件は千差万別ですから一つの参考にして工夫なさってください。本に書いてあることはいちいち書きません
B 準備段階
@  まず実践医療過誤、医療過誤対処マニュアル、医療事故問題の上手な対処法、模範六法、医学大辞典、当該診療科の教科書例えば医学書院の標準シリーズを購入し前記3冊は通読して暗記します
B インターネットに接続しジョイスとMedline の文献検索をマスターします。近くに開放的な医学部の図書館を探します。自分で診療情報提供を要求しない、調査嘱託しない、受診自体を口外しない、今回生活費の心配のためやむを得ず裁判せざるを得ない、今回の裁判結果は秘密にする主旨を書き誓約書を作り、病院に持参し診察をお願いし診察してくれる医師を確保します。相談にのってくれる弁護士を捜しておきます
B 証拠保全、調
ク  保全は失敗するとやり直せない。最重要です。まず前記の本の書式をまねて申立書と陳述書を用意し裁判所に提出します。カルテの撮影はコピースタンドに一眼レフを固定し50mmマクロを付けフジカラーリアラを使いレフランプで照明し無反射ガラスで平面化して行います。それは改竄の確認用で読むためのものはコピーします。レントゲン写真は病院に機械がなければ町の業者を調べデュープを依頼します。オリジナルとコピーフィルムの乳剤面同士を併せて複製するように指示しないと医療界の慣習でバック面に合わせボケてしまう。過去の保全歴を弁護士らに聞き、その病院がその場での撮影しか許可しない場合、一眼レフとマクロレンズで撮影します。フィルムは感度ラチュネードの広いフジのネオパンプレスト100を使いシャーカステンにかけ、ハイライトとシャドーの中間に適正露出を想定しプラスマイナスに補正を掛けます。CTやMRIの場合廉価な4×5ビューカメラを用意しておきプレストで同様に撮影します。癌関係ではプレパラートも保全します
B カルテのコピーのコピーを10部作ります。ステッドマン医学辞典で訳して訳語を赤で横に書いていきます。カルテの時間軸に沿って医療過誤を浮き彫りにするカルテのカルテを作成します。研究し何処に過失があるのか何を典拠にどういう立証をやるのか、構想を練ります
B 示談、調
まず不法行為構成をとり、相手方医師個人相手に調停を申し立て、間髪入れず病院相手に示談を申し入れる十字砲火をやります。医師個人相手に示談では夜逃げされ払いが心配で、病院相手に調停では逆に恥書かされたとむくれて具合が悪い。調停は相当額と書けば5050円で起こせます。病院相手のものは主治医個人のみの過失さえ認めたら逃れられるように医師相手のものはその反対に法律構成を組み、あるいはその逆をやりまんじ固めを掛け協力関係を切断して裁判利用用の証言を引き出します。
本裁
サ 両方が不調の場合本裁判を行います。例えば自分は大都市にいて相手は地方なら、小さな裁判所は裁判長が決まっているので傍聴に行って良ければそこにだし、良くなければ自分の地区でやります。訴状をだし、準備書面を書きます。親切な書記官を探して一般的な質問をさせてもらいます
B 主尋問は箇条書きにしておいて裁判官に読んでもらいます。医師の反対尋問は医療過誤弁護士の尋問を見に行って勉強します。相手方弁護士の作戦を読み想像もしていない落としどころに落とします。加藤良夫氏が医療過誤裁判での医師反対尋問の良書を出しておられました。レントゲンは4×5ビューカメラで撮影し四つ切りに引き延ばして添えます。シャーカステンの無い裁判所で天井の光にかざして議論するのが難儀だからです。鑑定書を書いてくれる協力医は各協力機関とも弁護士の紹介なしには受け付けませんが、医療事故調査会に頼めば本人訴訟の場合に限り弁護士からの依頼でなくとも取り次いでくれることもある。無理ならセンターニュースのバックナンバーを取り寄せ自分の診療科の先生に手紙を書いてみます。どうしても鑑定書が出ない場合外国に当たる道もありますが、この場合外国の先生には書ける範囲で好きに書いてもらって(思い切りはいいが焦点が合っていない、注文を付けると断る)、それを元に日本人医師に焦点を合わせた鑑定書を書いてもらう二段構えがいいかも。ホームページを作りカルテや資料をアップロードします。それ専用のものとし相手方の名前は出さず検索サイトには入れずリンクもはりません。カルテは撮影したものをフォトCDに入れ必ず自分の名前住所の欄を公開し、全ての内容を英訳します。人に問題を解って貰えるようにするためです
B 裁判はベストを尽くしても負けることはありますし、適当にしても裁判官の当たりが良ければ勝つかも知れない。和解を勧告されたらさっさと応じます。裁判はした事がないしいろいろ難しいので解る範囲で書きました
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