自伝

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1. ある家庭の歴史
私は滋賀県大津市山上町に産まれた。当時、家族は父、母 、父方の祖父母の五人だった。父はサラリーマン、母は大津赤十字病院に勤める 看護婦、祖父は日本通運で部長をしており、祖母は家事をしていた。家は借家住 まいで、私の寝ていた部屋の隣は馬小屋で、貧しかった。産まれた時,50cm 3870g で太っていた。
誕生日は旧紀元節の朝 9時であったため、祖父は大いに感動して言った。「家 のハツ子は偉い奴や。紀元節に子供産みおった。」と。
家の近くに琵琶湖、大津市役所、フェノロサの墓、弘文天皇陵、おう子山球場 、があった。
祖父は伊勢神宮の近くの、三重県松坂市の出身で代々農家の家庭だつた。長男 だったが農業を嫌って京都に来て勤めた。トラック運転手から始めて労働組合長 もしていた。いとこと結婚させられ、ニ男一女をもうけた。先の大戦で出征し、 津市にあった陸軍第三十三連隊に所属し、曹長としてニューギニアに駐留した。 殺しが嫌いで看護衛生兵となった。部下を訓練せず一人で漁ばかりしていて、将 校から嫌われたか゛、死ななかった。ニ子を失い、残りの晃が私の父となった。 父は肺結核で入院中、母ハツ子とであった。
ニ才のころ湖西線の建設があり、京都市山科区に転居した。山をきりひらいて 創られた住宅地で最寄りの駅から三十分ぐらい歩かねばならなかった。



 はしがき

私は本当は公開しているこうしたホームページに自分のことを書きたくない。 私が苦しんだことは神と人との個人的な関係によって生きてきた私が神のことについて、 神と私との関係についてどの程度情報を公開するされるだろうかという問題であった。 その次に私の書く内容が差別偏見を受ける内容含んでいるという問題があった。 そうした理由から私はこうした秘密を内容をホームページして公開したくはなかった。 だがしかし私もうすでに35歳になった。このホームページにこうした内容まで 公開することは、ひとつはそれだけ結婚に苦しんでいるということである。 どうしても私は自分と交際する女性を見つけることができない。 一般に日本人女性は狡猾であり差別が強く金のことばかり考え、 隣人愛というものを持たずおまけに頭が悪い。勉強の仕方というものを知らず、 彼女らに勉強させるといつも有名な学者の言うことを絶対視したりして 自分で勉強しようとしないしすぐに自己満足に陥り向上しない。 そのため私の価値を理解できずいつまでたっても私と交際する女性が出てこない。 そのため日本語英語両方のホームページを作り私は公開してもよい秘密をぎりぎり のところまで公開することに決めた。 それは彼女らをして私と共に人生を歩むことの意義をみいださしめるためである。 私は結婚に際して不利な条件ばかりがそろっている、 しかしながらそうであってもこの人とともにやっていきたいという気持ちを彼女らは もたねばならない。もちろんこの道はだれにでも歩める道ではない。 問題はまず第一に血統と次は能力である。 なぜ血統が問題になるかということについては、後で書く。やっぱり書かない。 これは普通にいう意味での家柄ということとは全然違う。 私こういうホームページを作り出しこうしたことを書くことを神がお許しにならないの ではないかということに悩んで、長い間ホームページを書き続けることができずにいた。 私は正確に神の御心を掌握する手段を持っていない。 すなわち神は私にまだ話して下されないのである。 その状態で神が秘密としておられることを一分漏らすということをしても良いのだろうか。 それがもし自分の都合上許されるとしたら、神のみ心を遂行するためであるから 許されるとしたら、むしろ神によって勧められるとしたらどういう範囲で勧められるのか という問題が非常にデリケートなのだ。そこのところの見極めがつかないため 私は長い間ホームページの作成をストップしてしまったいた。 だが本当に私は悩まされたことはそんなことではない。 ホームページに公開したこと内容については検索ロボットには、探知される可能性があるのである。 それはファイル全部保管されることもあり得るのである。 そうするとそのことは後で私にとってリスクにならないかという問題がある。 神はたとえ私が過ちを犯したとしても今までの経験からして必ず許してくださる。 だがしかしそうしたリスクファクターの官理をどのように行えばよいのかという問題 について結論が出なかった。 もちろん単純に私は変に思われるということも精神的な恐怖感としてはあった。 だがリスクファクターの深刻さはもちろんそんなことではない。 だがそのことについてはそれ上公開することはできない。ごく一部だけを言えば元来戦争の前に相手に武器を売る国があるか。いずれ私の子孫と人類は雌雄を決し私の恥をすすがねばならない。私は自分を天才と吹聴しうまくきちがい扱いされて来た。神と私は鉄壁の秘密主義で人類を欺きつづけた。ノーベル賞学者どもに徹底的に躍らせ実力は示さず大学に人類を先導させもっとひどい文化に低落させるつもりでいたのに。だが背に腹は変えられん。私は耐えがたきを耐え忍びが忍んで、数十年に渡って葉山家のトップシークレットであった内容を一部公開した。しゃーない。ええい。あほらしい。われわれが人類の文化のすべてを一瞬にして真っ二つにし、また人を人とも思わぬ野望を持っている事を示した。その理由がなんと自分がモテナイためなのだ。どうしてももてない。はらわたにえくりかえる。悔しい。計画ではどうしても民族つくらんなん。できなければ私の首にかかわる。そんなもののために、女の為に私と神は自分を曲げさせられた。我々がどんなに女にくるしめられているか。それは女が自分を男と対等と主張し、事もあろうに我々に反逆しても子孫を残せるなどと考えたためだ。なめやがつて。私を危機に追い込んで威信をきづつけ、葉山一門の門外不出の情報を公開させ知ってはならない者に情報を与えさせたためである。私はこのホームページの情報を勝手に借用したり転用したり、する者の上に永遠の呪いをおき、たとえその者が誰であろうと神が命の書から名前を消すように祈る。またこの内容を私への攻撃に使うものを殺すように神に祈る。覚えておけ。神は決して私のように寛容ではないぞ。私はこのホームページを作る事で悲しみに満ちた自分の人生にまたひとつくめども尽きぬ悲しみを付加した。私は自分がこのような内容を公開しなければならない悲しみのため死ぬ程である。こんな事までするなら自殺したい。それは我々の主も同様である。

 


  最初の記憶と聖霊

私は後々になるまで家の近くの石垣の姿を覚えていた。 私は貴子ちゃんの家の前の庭にいた。私の祖母が乳母車に私を乗せてそこまで運んでいった。 そして私を乳母車に残し、家の中に入っていった。その時である。 空から取りが舞い降りてきて私の胸の中に入った。それは鳩のような灰色の鳥だった。 それが上空を飛んでいるのを見て私はただ飛んでいるだけだと思った。ところが家のある方向から 向かって左から右に旋回したかと思うと私の方に向かってきて あっと言う間に私の体の中に入った。だがそれは痛くも何ともない体験だった。 その後は祖母が乳母車に乗せて私を家に運んで帰ったはずだ。そこのところを覚えていない。 家の中で私は祖母にそのことを伝えようと思った。ところが私は言葉が使えなかった。 私が必死の形相でそのことを伝えようとするのに祖母は「さとしちゃんなにいうてんの。 さとしちゃんなにいうてんの。」 とあやすだけだった。私はその時突然に初めての体験をした。 私の思考とは違う思考が私の中に存在するのを感じた。 そしてそれは私の心に祖母にそのことを伝えることをあきらめるように促すのだった。 私の心の中にそれ以前にはなかった何か固い意志のようなものが入った。そして言葉によってではなく 私に行動を自分の意のままに仕向けるのだ。私は伝えようとしても伝えることができないのだと悟った。 そしてあきらめた。そしてあきらめた瞬間に私は祖母とも世界とも切り離された。 私は自分が彼らとは別の運命をたどる人間であることを感じた。 そして石垣の記憶だけを残してそのことを忘れてしまった。 それはあまりにも恐ろしいことだったからだ。恐ろしいすぎることを記憶できないのだ。 私がそれを思い出したのは二十歳になってからだった。もちろんその時までに キリストに聖霊が与えられる記事を読んでいた。そしてそれは自分の追想錯誤ではないかと思った。 自分が魅力的な妄想を抱き続け現実の悲惨な人生を忘れたいという気持ちを起こしそのように 妄想追想を起こしたのに違いないと思った。 だがはっきり思い出してしまうとそれはやはり本当だった。 私はその後それ以前とは全然違う人間になった。 私の脳の中に自分とは全く違う存在が宿っているのを感じた。 それは例えば回りの大人や学校の先生をばかにしていた。 そして時として人を人とも思わぬ残酷な振る舞いをさせるのだ。 それはキリストの言葉である聖書の内容とは全く違うようにも思えた。 それは何より世界史を完全に軽べつしていた。それは人間を愛することではなく、 人間を否定すること教えた。それは人々との平和や協調ではなく対立とけんかを生み出した。 それは私に自分こそ世界の中心であることを教えた。そして自分と対立するものを 片っ端から破壊するのだった。私の振る舞いは単にわがままと受け取られた。 それは私に妥協することを許さなかった。それが過去の大学者であっても学校の先生やっても 親であってもとにかく否定し自分が世界一エライことにしなければならないのだった。 そのためには人を殺すことも全然問題にならないのだ。 そしてそれは何よりもキリスト教会を完全に破壊することを命じた。 すべてのキリスト教徒を憎んでおりそれを殺し体をバラバラにしなければ気がすまないのだった。


   引っ越し

新しい家を見に行ったときそれはまだ新築中だった。私はえらく激しく泣いたという。 それをやねの上に乗っている大工さんに怒られさらにひどく泣いたという。 私は新しい家で三輪車で遊んでいるとき、不意に自分の環境が異なっていることに気がついた。 遊んでいた友達がいない。前の家がない。部屋がない。ただ父と母と祖父祖母だけが同じだ。 私はどこか違うところに無断で連れてこられた。しかもそのことを後から全然説明してもらえない。 私はどちらの方向へ行けば前の家に戻れるのかわからなかった。 だがそれはきっと近くにあるのだと思った。実際には私がその前の家に戻ることはなかった。 その跡地に立ったのも二十五年もたってからだった。    新しい家 新しい家は小金塚というところにあった。それは最寄りの駅より随分離れていた。 私たちが入ったときにまだ七軒目であった。山を切り開いてつくった宅地分譲地で 道路がすごく傾いていた 坂がきつかった。私たちは四号道路に家を買った。 祖父は最初から町内会長に立候補して町内会の仕事を始めた。 祖父は菊と五月の盆栽が好きだったから毎日それを作っていた。 メジロも飼っていた。家の庭は植木だらけになった。 松の木や正木柳の木私が後で植えたビワの樹木ツツジよくわからない蔦などがたくさんあった。 私は幼稚園に入学するまで二年間ここで平和に暮らしていた。


    小学校入学前の悩み

私は小学校へ入学する前から小学校生活を恐れていた。今でさえ子供たちとこんなにも合わないのに。 これで小学校に入学したらいったいどんなことになるだろうか。 考えただけで恐ろしくその運命からなんとか逃げ出すないものかと願った。 「一年生になったら一年生になったら友達百人できるだろう。 百人で食べたいなぁ富士山の上でおにぎりを。」そんな歌が仲間のうちではやっていた。 私はその歌が特に恐ろしくあまりにも無神経で 聞いていると頭が変になりそうだ。あんなに頭の悪いサルのようなまた心の醜いものたちが、 この社会やっていく一人前の大人になろうとする。そして一人前の大人というやつが 訳のわからない怪物なのだ。 彼らは決してもともと人として生まれてきたものではない。私はそのころからよく観察してそのことを 知っていた。すべてがうそだ。彼らはただ他のもののまねをするだけだ。 私は彼らが成長するプロセスで、 どんなに恐ろしい精神的な操作を自らに施すか知っていた。彼らは精神と霊魂は 全く別々のものたちなのだ。 彼らが素晴らしい人格を身につけて、いかなる善行を行おうともそれは信用するに値しない。 本来人間の精神というのはこうした構造をしてはいなかった。 確かにいくら人格が霊魂を裏切って勝手に形成されているとはいえ彼らの行為は彼らの 霊魂と関与している。 だがいくら説明しても分かりはしない。彼らは人間とはこういうものだと思い込んでしまっている。 そういう人間しか見たことがない。またそういう人間としてしか社会を形成できない。 彼らは決して人ではない。彼はこう世界史を形成する陰の部分にすぎない。 世界史を長大な一枚の絵画に例えるならその陰の部分に過ぎないのだ。 それなのに彼らは私と対等の人権を持つという。誰がこんな妄想を彼らに吹き込んだのか。 彼らは必ずやこのことを口実に私を殺してしまうことになるだろう。 世界史のすべてが発狂している。世界史を構成するすべての細胞ががん細胞になっている。

 


 最初の自殺の考え

私は幼稚園の前にある石の上に座って考え込んだ。そこは小高い坂の上にあったのだ。 梅の木が植えてやりその下は往路になっていた。もし私がここから飛び降りたとしたら、 脳味噌が飛び出してしまうだろう。「生きるべきかそれとも死ぬか。」私は死んだ方がいいと思う。 もし私が生き続けるとしたならばおそらくはこの地球上の人間の大部分に死んで もらわねばならないことになる。私が死ねばだれも幼稚園時が自殺したと考えない。 事故死で片付けられ何も解らない親が適当に悲しんで終わるだけだ。 私は死ぬことを考えて坂の下の方向を見た。だが私の考えは変わった。 私はそれでいいとしても、何者かが私をここに置いたのである。 私はそれが誰かしらないけれどその者が困るだろう。私はそう考えて自殺をやめた。 そんなものはどういうものであるか分からない。だが私を人間以上のものとして作ったからには、 それは世界史よりも偉大な方だろう。私はその者のために生きることにした。 たとえこの世界を生きている人間がどんなおろかしいことを言おうと必ず私は勝つことができると思う。 私の敵がどんなに多く、私が独りぼっちであろうと。見よ、この知的水準の差を。 彼らのうちのどんな知識人が私に勝つのだろう。私はすべての学者にすでにかっているではないか。 彼らはたとえ私を捕まえ監獄のようなところに入れたとしても、 どうやって私に勝つことができようか。彼らはサル山に住んでいる猿にすぎないではないか。 彼らは何もわからないまま苦しんで死んでいくことになるだろう。      


緑の色紙と言語の問題

ある日私は色紙であそんでいた。この色紙の色を私も緑といい母も緑という。だが 同じ色を見ているという保証をだれがするのだろう。ひょっとして人は皆それぞれ てんでバラバラな色を見ていながらそれを緑と言っているのではないのか。それをどのように 確認できるのだろうか。もしそうなら確認する方法はない。 そう考えると私の頭は混乱した。母にこのことを言うと人間の目には網膜というものがあって 正しく色が分かるようになっているんだと答えた。 こんなのは答えになってない。だが人間にはそれを乗り越えて共通する認識 を持つ能力があるだろう と考えて納得した。 これはウィトゲンシュタインがその数年前に論文に書いた問題であった。