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世界文学をいかにまなぶべきか いかにして文学の研究を指導すべきか、我々知識人はどのように若い人達に文学を教えるべきか。そ れは難題だが確実なのは今までのような陳腐な研究室主義ではなく、それぞれの作家自身の立場と視点に 立った語りをする事が一つの条件である。彼らはそれぞれの国でそれぞれの時代、状況のしたでその時ま さしくその国の文学を創らねばならなかったまさしくそういう深刻な人達なのだ。現代人の視点から都合 の良い割り切った論文をかく事は厳に戒めておきたい。歴史を物語ることは歴史学者にはできない。そう いう専門を選ぶような素質のないものが歴史を正確に観察出来るわけがない。彼らはただ現代人の弁護士 として過去と未来の人類および創造主の前に突っ立っている死体である。いつの時代の歴史学者もそう だったし何乗にも膨れあがった歴史学の嘘は軽く振っておいて、ともあれ歴史を語る事は文学を語る事に よるのでなければ正確でありえないわけで。その重要性は論を待たないことだし。そうした視点から各専 攻の教授陣にたいする一つのお手本として今までにない文学案内を起草した。
ロシア文学 世界文学を学ぶ上で、ロシア文学を無視する事は考えられない事であるし、わけても ドストエフスキイとトルストイはまず征服しなければ、文学のマイスターとなる事はおぼつかない。元々 日本と同じ様に文学の遅れた国であり、自国の作家は手本にならず西欧の作家に学びつつそれ以上の人生 の諸問題の解決を文学自体に求めて、苦悩するという日本と同じパターンのいわば文学に対する誤解が根 底にあり、そこからいわば純粋の探求に突き進んだ日本文学と、スケーラビリティの巨大化によって征服 的に問題解決の視野確保をあわてたロシア文学という、この好対照な展開が同時代的に進行したところが 特徴であり、その点からこの国の文学を考察すべきといえよう。人は文学を学ぶ事でその作家の思想に よってまたその視線を共有しつつ世界を観察する事が可能になり、これを数多く行い、後でその作家の個 性や弱点を精算すれば超人的なる正確さで対象を観察する能力を獲得する事ができるが、そうした期待に 結果的にもっともよく答えてくれる遺産として今彼らの作品群は我々の前にある。
ドストエフスキイ トルストイ ゴーゴリ