随想録
タイトル
このホームページのタイトルについて長い事考え込んだあげくジャイアンツとつけました。例の映画か らとったんです。 ディーン演ずるジェット・リンクにしろあそこには偉大な人間はだれもでてこない。テキサスの歴史がそ れなわけです。 それではこの場合なにがジャイアンツなのか。わたしの祖父は地獄のニューギニア戦線より生還しました が、そのために軍律をことごとく無視しました。どうしてもまだ産まれてもいない自分の孫をわが胸に抱 きたい、そう彼が考えて浜辺で漁をしながら水平線のかなたに見ていたもの、それがジャイアンツです。 わたしもまたこんな日本でこんなつまらない人たちと一緒に死にたくないと、水平線を見る時同じものを 見ているのです。大葉山主義といってはなんだが、ナショナリズムのようなシオニズムのようなものでも あるが。チュチェ思想のようなものと誤解されては困るんだけど。この世界史がどうなっても戦争や飢餓 や疫病にみまわれてもそれは自分達のまいた種だろうが、わたしはまた違った心で生きてきたのだから、 その子孫とともにこの醜悪なる世界史から独立した歩みを持たねばならない。わたしは世界歴代第一位の 天才人であるから、すべての学問の支配者であるから当然の事である。世界史がどうなろうとわたしの子 孫は平和であり繁栄しなければならない。あんまりこんな社会に貢献してもなぁ。この世界史をいまさら というか。末期癌延命主義の猛烈放射線療法ってかんじ。これからの天才がいままでのとおんなじ事して てええのかちゅうか。 とにかく祖父のように戦争に狩り出される者があってはいけない。私のように医療過誤で半殺しにされる 者があってもいけない。 飢えるものがあってはいけない。ホモ・サピエンスに対しホモ・ハヤマの優勢とプレゼンテーションを示 しつづけないといけない。ホモ・サピエンスはもうだめだったわけだから諦めて、ろくな事なかったわけ だから迷わず成仏してもらって。そっちの事はそっちにおまかせしますけど、軍事介入とかしないけど、 わたしは責任を持って自分の子孫全員の人権を永久保証しなければならない。今は惨めな障害者である が、やがては人類から独立し遂には後の世に世界帝国を築く葉山の歴史それがジャイアンツなのである。 そういうそのルーツのクンタ・キンテみたいなご先祖の日本人というか、父アブラハムというかそういう 人に私はなりたい。
神と人々の間に
July10 2001
「紀元二千年、そのころ人類はまだ神の存在に気づいていなかった・・」こんな書き出して作品を書いたことがある。俺は聖書に預言された人物だ。聖書の神が存在することすら解らなければ死んでしまうがいい。ちりはちりにだ。俺はどこのセクトにも属さない。宇宙一偉大だ。
July 11
昔の天才なんざサタンや俺から見たら、ウジ虫だ。大学教授なんてウイルスだ。人類の文化は五百年遅れだ。サタンのねらいは俺の命、俺のねらいは奴を引きずりおろし、神の親しい話し相手としてかつて純情だった頃のやっこさんの後がまに座ることだ。
俺達は人命など尊びはせん。俺達の常識は違う。クリスチャンなどというものを追想したことは、
神もサタンも俺もここんとこしばらくといっても千年ほど。一度もない。まだ残っているらしいが関係ない。反抗したら殺せ。それだけだ。とっととくたばってくれ。なるべく静かにしていろ。俺達はそんなもん相手にするほどバカでも暇でもない。何言っても信用しません。相手ならん。信仰なんてお前らに与える分けないだろこのバカ。聖書はどうしようもない人をだますためにも書かれている。聖書の登場人物にとって基督教神学者ほどこっけいな者はいない。連中は天の御国のジョークだ。殺すのに必要な時間は二秒だ。俺がそいつらと接してまず最初に感じることだ。サタンも同じだ。神もサタンも俺も有る程度感じ方は共通している。違う面は少ない。我々にとってまぁバカとハサミは使いようだ。
毒にも薬にもならん。生かして於け。安月給で満足している。役にも立つ。すぐにしまつをつけると後で返って人間だましずらいんや。後で使える。今は研究用におれがつことる。人類をなだめすかしながら締め上げる拷問道具の一つだ。聖書は自らの求める者には嫌われ嫌う者に愛されている。
俺は沢山の仕事が与えられ死にそうだ。あれこれの学問をやる、金を儲ける。世界中に土地を買う。一夫多妻して、子供千人作る。こんだけどうやって一人でやるんだ。
神様には神様の立場、人類には人類の立場、その間に生きるこの身はつらい。
俺は見た。洗礼ヨハネがどんな死に方をしたか。あの人がいなご一匹捕まえるのにヘッドスライディングやる姿想像してみろっての。そんなど偉い人に用意された死に様は何だった。
神様はヨハネの霊が不満を言わないことを確認して救われた。ものすごい猜疑心だ。
その何千倍の不信感が俺に降りかっているとしたら、どんなに俺は救済に遠く死に近いだろう。
俺はかつて天に向かってほえた。天使達に言った。お前らが指示待ち族だからこんななるんじゃないか。また殉教して天に上げられた方々に向かってほえた。昔の事を恨んでるだけで天のみくにが実現すると思うのか。上等じゃねえかよ。こんなひどい事まで言った人がいるって聖書に書いてない。赦されて生きる我が身のつらさ。いっそ全部俺の妄想ならいいのにといつも思う。だが俺の学問に欠陥を見つける事は出来なかった。サタン達は必死だ。一枚岩だ。俺達は立場が割れてる。神様、天使、人間、そこにはすれ違いや不審や猜疑がうまれる。包囲してるつもりが敵に後ろを取られてる。どうどうと神と渡り合うサタンにくらべ神の側に残った天使は力不足なのかもしれん。というか奴がすごすぎる。被造物第一の能力だ。二位以下を引き離している。俺は正確には神の御心を把握できない。例えばこういう内容でもこんなとこにかいていいのか、情報公開については十年も悩んで結論が出せなかった。俺達にはスキがある。どうせ勝てる、サタンと神が戦ってどうやって神が負けるんだというスキが。そんなんじゃやられる。
俺は誤診と薬害で脳をポンコツにされたが、元々IQ300だから半分になってもまだ悟れた。
奴もボコボコにやりやがったが、こっちも奴の嘘は全て暴いた。奴の手下も震え上がったろう。しかも人類に情報漏れはない。人類はまだ俺をクズだと思ってる。完璧に欺いた。しかも自分達で造った嘘に自分達ではまったのだ。穴からよう上がりようらへん。旧式の天才達の文化拝ましとけばいい。勝手にのつぼにはまりやがつた。神の事を忘れたかったんだろう。だが向こうは忘れていない。行く先で戦車が何千両待ち伏せている。だけどあんまりそういう具合にアホ一筋してもうてもこっちも心配なってくる。こんなに完璧にボケさしとくとかえって。昔の偉いさんの仕事は単純だった。大変だが仕事の内容は預言とか伝道とかとにかく言われたようにやってりゃよかった。俺は世界史のアキレス腱だ。今の神は人類の返り血を浴びない所まで避難しておいでだ。俺には何の話もしない。自分で悟れないとだめだ。リルケはマルテの手記の中で詩は感情ではない。経験だ。と言ったが信仰も又そうだ。神と自己の距離を掴み神を理解し人に伝えうる力を持つまで長いつきあいがいる。聖書にもそこまでは書いていない。イスラエルもキリスト教会もそこまで行く前に捨てられた。しかもその腐敗が改善されても神は二度とそれを拾いはしなかった。一度捨てた者はひらわない。俺はいつもその事を自戒しないといけない。いかにして捨てられないかが問題だ。それが俺の本当の戦いだ。サタンが何故反抗したか。ずーと気つこてんなんのがいやになったんだ。よくわかる。長い歳月は全てを変えてしまう。慢心もする。ためてあったはずの貯金がいつのまにかない。厳しすぎる。もう今はいわんとわからん奴は信じない。ものすごい悲惨な時代や。俺ももうちょっとで死ぬとこやったのにあんなもん死によってもええわい、とかおもてはんのちゃうやろか。俺は人に過ぎない。どんなに頑張ってもそれ以上になれない。
失敗も多い。失敗だらけだ。なんでこう失敗するんだろう。サタンはうまく人間の思考をコントロールするからなぁ。聖書にはサタンの能力についての情報はないが予想以上だ。すごいと言うより
うまい。普通人間を相手にならない。勝負せず利用する。頭よすぎる奴や。俺なんかとても。後であっまたやられた、だまされたと気づいてる。制限された範囲でしか人を攻撃できないがその範囲で上手に目的を達してしまう。見事な仕事だ。なにより跡をつけない。
文化的脈絡の中で神に仕えればいい昔の人とは違う。まず俺にとって辛かったのは、何が真実か解らないところからいままでの文化を総合的に判断して、全ての嘘を洗い直し真実を見つけなければいけなかったし、しかも最も難渋したのはキリスト教会をどう規定するかだった。
結局これは全面否定になるのである。聖書の内容と神の御心は食い違いしかも確かに意図的に神様は教会をだましておられる。このズレのセッティングに今までだれも成功できなかった。
教会は確かにある残酷な目的で保管されている。
そこにはなんの希望もなくただこの世で最も恐ろしい絶望が用意されている。復讐である。
私が決して受洗しないのは恐ろしいからだ。
今まで何の音沙汰もなくこれからまた新たに世界史を終えるために、人類と関わろうとなさる。
神は私を使って世界史にてこ入れを計りたい、もう一つ世界史を造りたいのである。
私は世界の棺桶である。世界史はサタンの葬式である。彼は偉大だから。彼は恐らくは最初の被造物、かつては神の親友だった男だ。ヨブ記に彼らの関係が透けて見える。
信仰というものは一代で造るものではない。長い神との関係の経験を親から子に伝え何代にもわたって形成していくものだ。最初は失敗ばかりだ。だが自分一代で結果を出そうとする男はつまらない。経験は急に与えられない。私は常にサタンを目指し彼に勝とうとしてきた。その意味で親友かも知れない。私は常に彼に殴られ蹴られながら学んだ。まだまだ彼にやられるのはこれからだが。彼になく私にあるのは希望、私になく彼にあるのは威信、能力。昔の天才になく私にあるのはライバルそして神の信頼だ。サタンは人の心を完全に読む、本も開かず読める。自分の思考も感情もつつぬけだ。その事は聖書に書いてない。
Dec-18 2001
人はたったひとりで自己も神も問おうとはしない。卑怯にも彼らはいつも昔の天才の業績を寄せ集める。凡人は研究させてもどうせ単機能である。総合的にやらせても方向性が正しくなく、戦闘力がない。学問は戦争だが彼らのすることは金儲けだ。世界史と人が呼ぶこのとほうもない神からの逃避行、それが終わるとき人はおのおの自分の人生に申し開きをしなければならない。
人は言う。あの人が天才ならそれなりの業績を残すはずではないかと。業績を上げるような学者は敗北者である。どこに貧しさがあるのか。私は自分を天才と呼び学問の神様と呼ぶが故にそうである。能力や貢献など何の関係もない。神が自分のために学ぶ者が欲しいと思われそれを作られたのである。人に都合の良いキリスト教神学を作る者ではなく、御自身の弁護士として私を立てられたのである。私が人類の文化をそのために必要なら踏みにじって何が悪い。信じて義とされ告白して救われるとはどういう意味か。言葉というものはなにだろうか。人は自分達の利益になる社会貢献を言葉よりも重んじている。自分のためにどれだけしてくれるかで人を評価している。それでは社会の人物評価自体が利己主義ではないか。この社会には最初から人をまじめに評価しようと言う気はない。
私は何故負けるのか。何故うまくいかないのか。それを説明しよう。
サタンと手下は一枚岩だ。我々は違う。神には神の弱点がある。神はひぞうぶつになれない。神はひぞうぶつを疑うのである。神は割礼の件でモーセを殺そうとされ、アブラハムには息子を生け贄に捧げよと言われ、自ら女の胎から産まれた者の中で一番偉いと言われた洗礼ヨハネにはこの上なくむごたらしい死を贈り物とされた。神は猜疑心に苦しんでおられる。天使には天使の問題がある。これは中間管理職、公務員である。つまりどうせ神は勝つのだからと、やる気がない。神が人と共に生きようと生きようとする見極めを付けるための手伝いをするわけだから、自分達は脇役であり、神という主体でも人という対象でもない、網膜でも光でもなく、硝子体のような中間透明体である。しかも自分達の存在を悟られることは厳禁されている。その上個性のきつかったサタンの失敗を見ているし事なかれ主義だ。アカン。天に住む方たちは被害者意識が強い。惨殺されたからだ。「いつまで復讐なさらないのですか」とまで我々の存在を無視してくる。原始基督教団は失敗が多かった。まずパウロの前半生はペテロらにパウロへの猜疑心を生んだ。ペテロらはたとえ神に止められようとも買って出るべき同行をせず、パウロと弟子に海外伝道をやらせた。あいつはこわがりの田舎者だ。おまけに教養もない。ギリシア人にしてもまず面識のあるものから詳細にその生涯を聞かずしてどうして信じられよう。パウロが自分の救いへの不安感から自分で業績を上げようとしすぎた。ペテロに泣きつけば良かったのに。パウロは伝道がうまくいかないと必ず相手のせいにしてそしてそこで聖句も引用しそれが神の御心であったと思わせぶりに書く。「私は走るべき道を走り終えました。私を義の冠が待ちます。」という。内心この男は神が自分の犯罪を重んじないか恐れていることを見抜け。パウロの作った教会は彼がいなくなると五年も保たず腐敗する。ペテロらが教えていないからあまりに現実感のない話だからだ。それがうまくいっていたら教会史は違っていたはずだ。教会は堕落した。ローマの国教となり後はローマの経済力、軍事力によってあらゆる民に強要された。キリスト教のロジックは最強であるから他宗教など敵ではなかった。基督教に対する東洋人の恐怖感はここからくる誤解であるが。
いずれにしろエルサレムに入るにもロバの子にのらねばならないイエス・キリストからみれば、つまりそのとっくの昔にもう二度とひらう気は無いという決意で捨てたのだ。以来神は教会を利用こそすれ信頼しない。信仰すると言っても神が信頼を与えない以上成立しない。教会に信仰は発生しない。一方私はこうして世界史を要約すればサタンの葬式なのだが、正確に把握し、神を理解し新しく神に唯一信頼された全権代理として重々しい歩みを始めなければならなかった。我々はこうして立場も時代も任務もバラバラであり、これが最悪なのだが意志疎通が悪いという欠陥がある。我々は神の御心を大抵掴み損ねる。聖書の反対である事も多い。「また逆球か。」と私はいうが。教会関係の神の発言は勿論全部消滅時効である。「教会は神のからだとか」。パウロもイエスも世の終わりを早く錯覚している。パウロはそれに従って結婚関係でまちがいの忠告をだして信仰の障害になっていた。彼らすら神との距離感を図り損ねた。
この神との距離感こそ神の存在を理解した者のもっとも苦しむところだ。大抵近すぎる。サウルなんかはちょつと遠い、でも彼ぐらいの方がよい。べたべたしても近づかない。錯覚したらものすごく危険だ。
御心のつかみそこねといえば、
パウロも長い間ファリサイ派が正しいと考えていた。私もなかなか神の存在を理解するのは容易でなかった。神が話してくれるわけではない。洗礼ヨハネはイエスに使者を送って尋ねた。彼にも神の言葉は滅多にないことだったのだ。こうして時代が下り、古代の人のようにイスラエルの中で単純な命令に忠実に服していれば良かった頃とちがい、我々はあらゆる文化の中から神を選びまた何をなすかも大変な学問の末に導き出すより無い。
サタンは最高のひぞう物だ。彼ほど聡明で個性豊かな者はない。神様はサタンを最初に話し相手として作られたのだ。そうでなければ何故あれほど未だ親しいのか。さて私はもう一度基督教神学者、牧師、神父に対して言う。「お前達を殺すのに必要な時間は2秒だ」これが私の彼らの全人生と業績に対する感想の全部だ。役たたずめ。
Feb-14 2002
原始キリスト教団の最大の失策は彼らが先の時代を完全に読み違えていることだ。黙示を受けたヨハネはその後パドモスを脱し小アジアで宣教していたという伝承がありそこでの彼は自分達は復活して千年生きるなどと言ったという。時間感覚もない、内容も啓示を受けた者すら全く把握できていないのである。
パウロは書簡の中で独身を奨励し理由として世の終わりが近いと述べている。そんなに近いわけではない。彼の忠告と御心はしばしば完全に正反対だった。
そして彼らは将来のキリスト者のためにまるで祈っていなかった。自分の不十分が先の代の信徒にもたらす迷惑について赦しを請うていないし、自分の前半生の失敗はそのままキリスト教の
早期の形骸化に直結するという指摘を何一つ書簡の中で語っていない。それらの不始末を一身に背負ったのは私だった。
May16 02
女達は何故私を捨てていくのか。金、職業、世間の価値観で考え私に零点を付けるのだろう。
誰もが力無くしなびて根拠のない通念にしたがつている。気楽で苦労のない幸福を望んでいる。神は私に女を与えようとするのだがことごとく失敗している。私は自分以外の男を全て睾丸腫瘍にしてでも何とかしてくれと祈ってきた。だがどうしても成果を得ない。理解する能力がない。若い女性の解ることなど小学生がわかることと同じくらいだ。それにどうやつてそんな難解なことを理解しろと言うのか。ごく簡単で手近な人間を求めていくだけだ。神の御心を思いはかろうとはしない。
何故世の者どもは薬害裁判を起こすのか。病院に診療報酬明細を見せよと迫るものは自分が薬害裁判にいくら使ったのかまずそのレセプトを開示せよ。愚かしいものは失せよ。死んでいなくなれ。人を憎むものは私から離れて行け。主はひたすら私の病を気になさり日々憂鬱で有られそれが治ることを望んでおられるというのに。
役に立たない女は死んでいけ。主が必要とされるのは私の言葉を理解し仕える女だけだ。
02 May23
あのおそろしく頭のいいサタンは私の能力を恐れ私を小さいときから殺そうとしてきた。いっぽう人類はボケていて私をバカだとか言う。こっちのほうがましだけどこの両者は結託というか人類はサタンに利用されてるし、んなこと気づかしてくれる事すらないけど。私から見ると両者同じ方角にいるし対応しにくい。自分達の運命を知らせて貰えずバカにする人間の屈託のない表情と背後にいてそれを操りつつ何とか私をくい止めたいサタンの引きつった表情。人間はどうでもなるがうしろの頭のいいおっさんが怖い。多分この文章キリスト教神学者が読んだら頭がおかしいと思うだろうけどそれでいいんですが、神様はあれしかしなんやいなほんま。うーん、なんちゅうか、もう少しくっついていて欲しいんですけど、なんかほったらかしているってわけでも無いけれど、もう少しご加護を手厚くして欲しい。獅子は千尋の谷にとかいうけど、つまり前の人が不信感買いすぎて神様が強い猜疑心に苦しんでおられる。洗礼ヨハネもああいう死に方に耐えて文句を言わないかどうかためされた。ぼんにのって首が出るなんてなんちゅうこったろ。んなことにもんくをいわんのはまたあの人だけだ。一方であんなに哀れみ深く手をさしのべられる方が一方で女から産まれたものの中で彼より偉大なものはない、と自ら言われた人にこうなのだ。洗礼ヨハネの人生に非はなかったがそれでも主は・・・これは前の代の人間の罪深い姿を見すぎて鬱状態というか、深い悲しみと猜疑を心に刻んでおいでなのだ。だれにそれをいさめられよう。人はこの強烈な猜疑の下を生きるより他はない。だから私はこの先まだまだえらい目にあってえらい死に方をするのではないか。セックスでもこういう快感与えておけば人間しおるし、んでとしとったら死ぬようにしといたら順番にいろんな人間観察できるし、ベルトコンベアーみたいに、自動的に。自分の御心が行われても行われなくても世界史は進むしだんだんむこうにいきよる。あっちへいけ、あつちへいけ、つてかんじで。こういうとこ怖い。セックスは神様の人間不信の象徴だと思うとする気になれない。恐怖を感じます。こういう仕掛け考えつかれた方に。
どうせいいうねん。サタンはサタンやし神様は神様人類は人類、第四の立場やなー。
ひとりでこんな弱いほんま、脆弱なこんな弱い私に。
05 Nov 10
この世界史という人類の神からのとてつもない逃避行が終わるとき・・・・。
私は現役預言者である。二歳のときに神の霊を受けた。全く分からない中から神の存在を理解し御心をつかんだ。四十年もかかる勉強だった。
ヨハネ黙示録6:2は私について予言されているのである。その後の11章のふたりの証人もまた私についての予言である。
神の身になって、その立場に立って、神の心は時代と共に移り行くのだがその心の動きに沿って聖書を読めるだけの読解力を養うことが、神の存在を理解するための一つの条件だ。神に仕えたいと思う女は私の元に集え、一夫多妻であるから心配ない。共に神に仕え神のために働こうではないか。